台湾人物事典

 

鄭成功(1624〜1662)

日本の長崎平戸生まれ。母は日本人。31年に父とともに中国へわたる。その後反清復明を掲げて戦うが、台湾に逃れて台湾で王朝を築いた。

 

劉銘伝(1836〜1895)

中国安徽省生まれ。1887年に台湾省の責任者に任命される。1891年に台湾史上初の鉄道を開通させる。そのほか台湾近代化に努力した。

 

孫文(1866〜1925)

中国広東省生まれ。もともとここに載せないつもりであったが、台湾に二回だけ短期滞在したことがあることが判明したので、載せることにした。今でも中華民国の国父ということになっている。蒋介石と違って台湾に実害をもたらさなかったせいか、台湾人の間でも人気はまあまあ。

 

モーナルダオ(?〜1930)

1930年霧社事件を指揮したタイヤル族のリーダー。抗日の英雄。

 

林献堂(1881〜1956)

台中生まれ。30年台湾議会設置請願書を日本の帝国議会に提出。台湾人の権利向上のために尽くした人物として知られる。1956年東京で病没。

 

 


蒋介石(1887〜1975)

中国浙江省生まれ。日本の陸軍士官学校に留学した経験を持つ。辛亥革命時に帰国。孫文との出会いをきっかけに国民党に参加し、孫文の死後、北伐を開始し、一度は南京に政府を樹立するが、すぐに共産党との内戦がはじまり、さらに抗日戦争もはじまる。1945年に抗日戦争に勝利すると、その翌年には再び国共内戦。台湾に脱出し、名目上の中華民国総統として死ぬまで権力を握り続ける。

 

宋美齢(1897〜2003)

中国上海生まれ。07年に渡米。17年にウェルズブレイ大学卒業し、中国へ帰国。27年に蒋介石と結婚。得意の英語力を活かして蒋介石の通訳などもつとめ、中国を世界にアピールする。49年に台湾へわたる。91年に台湾の議会で演説し、「改革も必要だが根本を忘れてはならない。」と発言。その後渡米。2003年ニューヨークで死去。

 

厳家淦(1905〜1993)

1905年中国江蘇省生まれ。経済部長、台湾省長、財政部長、行政院長、副総統などを歴任し、1975年4月6日、蒋介石の死去に伴い、総統に就任。78年に総統職を蒋経国に譲る。

 

 

蒋経国(1910〜1988)

中国浙江省生まれ。一時期ロシアに留学し共産主義に傾倒したことがある。1949年に台湾に脱出。1970年代頃から権力を掌握し、1978年に総統に就任。「ストロングマン」の異名を持つが、政権末期には戒厳令解除や新聞自由化など、民主化の兆しが見られた。

 


李登輝(1923年〜 )

台北県生まれ。客家系と言われているが、客家語はできない。京都大学農学部中退。アメリカ・コーネル大学大学院農業経済学博士課程修了。1972年。国民党入り。78年台北市長、81年台湾省長、84年に副総統に就任、88年に蒋経国がなくなると総統に昇格。12年間の任期中、台湾の民主化・本土化を進めた。96年には台湾史上初の総統選挙で54%の高得票率で圧勝。00年に退任後、01年には国民党を除名。新政党台湾団結連盟の顧問を務める。現在では台湾正名運動を推進中、台日両国で絶大な影響力を持つ。親日家としても知られ、日本での著書もあり、日本でも人気・知名度抜群。しかし日本政府は彼の訪日ビザ申請をたびたび拒否すると言う侮辱的な対応をとっている。

 

李遠哲(1936〜 )

新竹生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得。86年台湾人としてはじめてノーベル賞(化学賞)を受賞。94年から中央研究員アカデミーの総裁を務める。現在でも現役の学者として活躍中。

 

 

陳水扁(1951〜 )

台南県生まれ。台湾大学法学部卒。89年立法委員に初当選。94年台北市長に就任。台北市の環境改善に大きな成果をおさめたが、98年の台北市長選挙では落選。00年の総統選挙で当選。戦後台湾史上初めて国民党以外の政権が誕生したが、国会の過半数を中国派に握られている現状で改革が思うように進ます。04年3月19日、総統選挙の運動中に腹部を銃撃される。翌日の総統選挙で僅差で再選される。当面の目標は12月の立法議会選挙で、台湾本土派政党が過半数を確保すること。

 

宋楚瑜(1942〜 )

中国湖南生まれ。ジョージタウン大学政治博士課程修了。国民党政権では行政院新聞局長など要職を歴任。93年台湾省主席に就任。98年に辞任。00年の総統選挙で無所属から出馬。37%の得票率を得るが僅差で落選。その後は親民党を結成。04年の総統選挙では国民党の連戦氏と組み、副総統候補として出馬するが僅差で落選した。

 

 

連戦(1936〜 )

中国陝西省西安生まれ。シカゴ大学で博士号取得。88年に行政院外交部部長(外相)、90年台湾省主席、93年行政院長(首相)を経て、96年5月から副総統を兼任。97年9月に行政院長は蕭萬長に譲った。00年の総統選挙に出馬し、当時は当然ながら李登輝総統の支持も受けていたが、22%の得票しかえられず惨敗。01年の立法議会選挙でも国民党は大敗北。04年の総統選挙では親民党の連戦と組むが、結局二連敗。選挙のたびに敗北を繰り返し「連戦連敗」の異名を持つ。12月の立法議会選挙でも敗北する見通し。

 

呂秀蓮(1944〜 )

桃園県生まれ。ハーバード大学で博士号取得。79年美麗島事件がきっかけで逮捕、投獄される。93年に立法委員。97年に桃園県長に就任。00年に副総統に就任。01年に世界平和コーズ・ミッションの「世界平和賞」受賞。04年の総統選挙運動中に銃撃され、足に軽症を負う。翌日の総統選挙で副総統に再選される。

 

馬英九(1950〜 )

香港生まれ。ハーバード大学で法学博士号取得。93年から3年間法務部長を務める。98年の台北市長選挙で陳水扁を破って当選。02年の台北市長選挙でも圧勝。03年国民党副主席に就任。ハンサムなマスクで国民的人気を誇る国民党期待のホープ。国民党が長期低落傾向にあり、連戦主席の人気がいまいちなことから、時期総統候補としての期待が高い。現在台湾では台湾本土派が優性になりつつあるが、彼が国民党主席となれば、08年の総統選挙も侮れない。

 

 

郭源治(1956〜 )

台東市生まれ。68年にリトルリーグ台湾代表チーム金龍隊のメンバーに選ばれ、世界大会に出場 優勝。81年日本の名古屋市に本拠をおく中日ドラゴンズに入団。88年の中日ドラゴンズのリーグ優勝に貢献、同年セリーグのMVPに選ばれる。94年には史上五人目の通算100勝100セーブを記録。96年に日本球界を引退。97年台湾中華リーグ統一ライオンズに入団。99年に台湾球界を引退。

 

 

郭泰源(1962〜 )

 

 

謝長廷(1946〜 )

台北市生まれ。台湾大学法学部卒業。京都大学大学院博士課程修了。韓国東洋大学法学栄誉博士。高雄市長、民進党主席、行政院長などを歴任。

 

蘇貞昌(1947〜 )

屏東県生まれ。台湾大学法学部卒業。韓国慶南大学栄誉法学博士。屏東県長、台北県長、民進党主席などを歴任。現行政院長。

 

 

游錫コン(1948〜 )

宜蘭県生まれ。東海大学政治学部卒業。宜蘭県長、総統府秘書長、行政院長などを歴任。現民進党主席。

 

 

 

 

  

 

 

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