台湾の歴史−オランダ・スペイン時代  

 

 

1622年 オランダが澎湖諸島を占領。

1624年1月 明が澎湖島を攻撃

1624年8月 明とオランダの協定により、澎湖島は明が支配し、台湾はオランダが支配することになる。

1624年8月26日 オランダ台南に到着。台湾西部を占領する。以後、漢人の本格的移住が始まる。

ゼーランジャ城全景

 

1626年  5月26日スペインが基隆に到着。台湾北岸を占領。

1626年 浜田弥兵衛が台湾を襲撃。

スペインが淡水に築いた紅毛城

1627年 オランダがキリスト教の布教を本格化。

1628年 7月スペインが淡水を占領。

1628年 7月3日浜田弥兵衛とオランダ長官ヌイスが講和する。

1632年 スペインが淡水から台北平原や宜蘭に勢力範囲を広げる。

1632年 浜田弥兵衛事件に関し、ヌイスが訪日し、謝罪する。

1634年 ゼーランジャ城完成。

1634年 オランダが小琉球に出兵

1635年 オランダの圧制に原住民が抵抗。オランダ軍は原住民に対して大量殺戮。「麻豆事件」と「蕭瓏事件」。

1638年 スペインが淡水から撤退して、基隆のみがスペインの拠点となる。スペインは中継貿易やキリスト教布教に失敗、また風土病による人員減少、マニラからの補給船の遭難などなど、全体的にスペインの台湾支配は失敗に終わった。

1640年 鄭芝龍とオランダが貿易協定締結

1642年  3ヶ月の攻防の後、オランダが台湾北岸からスペインを追放する。

1645年 オランダが漢人頭人制を始める。

1648年 オランダが学校設立。

1652年 郭懐一が率いる漢人がオランダに抵抗事件を起こす。数千人の漢人が殺戮される。

1653年 プロビンシア城完成。

 

  

 

 

 

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