李登輝訪日特集A―李登輝氏訪日妨害の数々

 李登輝訪日問題、日本外交史にこれほどの醜態がほかにあるだろうか。犯罪者やテロリストならいざ知らず、日本文化に精通した親日家で、台湾民主化の英雄である李登輝氏の度重なる訪日の希望を、我が国の政府・外務省はことごとく拒絶してきた。理由は言うまでもなく、お隣にある封建独裁国家中華人民共和国の恫喝に恐れおののいているからである。独立国家としてあまりにも惨めであり、お粗末である。現在では日本政府もそれなりに独立国家らしい態度を見せるようになりつつあるが、今後の教訓とするためにも、今まで我が国がどれほどの醜態をさらしてきたか振り返ってみたい。
 李登輝氏は副総統時代の1985年3月に中南米諸国訪問の帰途東京に立ち寄っている。それ以降、日台関係に度重なる悪夢が襲い掛かる。

×@1994年9月、李登輝総統は広島アジア大会への出席を希望したが、早速中国政府が猛烈に噛み付いてきた。当初は台湾政府も訪日実現のため強硬姿勢をとっていたが、日本政府の消極的で不甲斐ない対応に結局断念せざるを得なかった。その後何度も繰り返された外交失態の始まりであった。日本政府は最終的に徐立徳行政院副院長の訪日を認めたが、中国政府はこれさえも頑強に反対していた。 
×A1995年11月にはAPEC大阪会議の非公式首脳会議への出席を希望したが、これまた中国政府の猛烈な圧力により断念。
×B1997年には母校である京都大学百周年記念式典への出席を希望したが、京都大学は「中途退学だから」という不可解な理由で認めなかった。
 2000年5月に李登輝氏は台湾国総統の任期を終え、退任した。総統でも閣僚でも議員でもない私人となったのである。だが我が国の外交失態は醜悪さをエスカレートさせる。
×C2000年10月、長野県松本市で開催される日台両国の学術シンポジウムであるアジアオープンフォーラムに李登輝前総統は出席を希望した。だが日本政府は非常に苦しい立場に追い込まれた。ビザを発給しても拒否しても将来に禍根を残してしまう。結局李氏は「日本政府に迷惑は掛けたくない」ということでビザの申請そのものを諦めた。
○2001年4月は岡山県での病気治療のためビザを申請した。だが中国政府の過激な恫喝に日本政府は
「李登輝氏からのビザ申請の事実はない」などと公の場で事実を捏造する醜態をさらした。日本ではちょうど自民党総裁選が行われており、4人の立候補者はいずれも入国を認めるべきと表明、朝日などの主要紙も概ね入国を認めるべきとの立場だった。そして難産の末、李登輝氏の16年ぶりの訪日が実現した。
 ここで日本外交に一つの突破口が開けたようにも感じられたが、その後の展開は日本がまだまだ主権独立国家として未成熟であることを知らしめた。
×D2002年11月には慶応義塾大学で行われる三田祭において、学生サークル経済新人会が李登輝氏の講演を要請し、李登輝氏も快諾していたが、なんと大学側が猛烈な圧力をかけ、11月7日、三田祭実行委員会は李登輝氏の講演会を却下してしまった。11日、事情を知らない李登輝氏はビザを申請したが、結局翌日にはビザ申請を取り下げた。
×E李登輝氏の訪日拒否は実はその直後にも起こっている。経済新人会は慶応大学以外での李登輝氏の講演会を計画し、李登輝は14日に再びビザの申請を試みるが、日本の外務省に頑なに拒否され、結局断念した。
×F2004年9月、李登輝氏は観光目的での訪日を希望した。だが日本政府は12月に台湾で立法委員選挙が予定されていることから、選挙に影響が出る可能性があるとの理由で、12月後半なら認めてもいいとの不可解な見解を示した。選挙に影響が出て何が悪いのだろうか。台湾は民主主義国家であるし、李登輝氏は何も選挙で不正を行うわけではない。しかも12月後半に日本政府が本当に約束を守るのかどうか、多くの新台湾派が心配したものであった。
 だが日本政府にも徐々にではあるが変化の兆しが見られていた。小泉総理は就任以来すでに4度の靖国神社参拝を果たし、中国共産党の野蛮な干渉に屈しない姿勢を見せていた。李登輝訪日問題においても、主権国家としての成長が垣間見れるようになりつつあった。
○台湾で立法委員選挙が終わった直後の2004年、李登輝氏が観光目的での訪日を表明。日本政府もビザを発給する方針を示し、中国政府にも通告した。案の定中国側の反応は激しく、まるで発情期の猫のように李登輝訪日反対をがなりたてた。王毅駐日大使にいたっては「李登輝は戦争メーカー」という歴史的な「名言」まで飛び出した。12月27日、李登輝氏の3年8ヶ月ぶりの訪日が実現。名古屋、金沢、京都などを観光した。今回の訪日では、以前と比べれば日本政府の対応にも評価できる部分がある。だが課題も残った。日本政府は李登輝氏に対し、「政治活動を行わない」「記者会見を行わない」「議員との接触を行わない」など、およそ民主国家とは思えないような条件をつきつけた。
 2005年に日本政府は台湾国籍保有者の観光ビザ免除の恒久化を決定。政府要人は対象外となるが、李登輝氏は対象に含まれるとの見解を示し、今後の李登輝氏訪日へのハードルは格段に低くなった。李登輝氏念願の奥の細道訪問と靖国神社参拝実現へ向けて、期待感が高まった。
■だが残念ながら事はそう順調にはいかなかった。李登輝氏は2006年5月に観光目的での訪日を表明したが、健康問題を理由に延期された。
×Gさらに2006年9月にも訪日を希望していたがまた延期された。この時も理由は健康問題であったが、どうも怪しい。実際に9月に李登輝学校に参加して李登輝氏と会見した李登輝友の会の会員の話によると、李登輝先生はすこぶる元気で健康問題など絶対嘘だ、とのことである。断定はできないが、安倍新首相就任と中国訪問が予定されており、それを実現させるために日本政府が李登輝氏に訪日延期を打診したのではないかとの憶測が漂っている。すでに李登輝氏のビザ申請は免除されているため、行政手段によって阻止することはできないので水面下で動いて李登輝先生の訪日を阻止したのだとしたら何とも姑息な手段である。ただし、話が長くなるのでここでは詳しく述べないが、この時の日本政府の対応にも一定の理解の余地はあると思う。
○そして2007年5月、李登輝氏は2年5ヶ月ぶりの訪日を予定している。今回はついに念願の奥の細道訪問が実現する予定である。不思議なことに今回は中国政府からほとんど反対表明が出ていない。恐らく中国政府は対日政策を考え直しているところなのだろう。中国政府は今後も靖国神社参拝を絶対に譲れない問題と認識し、強硬姿勢を崩さない。しかも日本国内にも中国共産党に媚びへつらって靖国反対を叫ぶ売国分子がうようよいる。ところが李登輝訪日問題となると、朝日でさえも同調してくれない。それどころが中国政府の異質さを日本国民に焼き付けるだけで、あらゆる意味で逆効果となってしまう。
 私は昨年9月の李登輝氏訪日延期が、やはり日本政府が水面下で動いたものとの確信を強めている。昨年10月に安倍総理が訪中、今年4月に温家宝首相が訪日して日中友好ムードを演出。その余韻が冷めた頃に李登輝氏の訪日である。日本側が、日中首脳の相互訪問が実現するまで訪日は控えてくれなどと打診していたとしか思えない。
 すでに85歳になる李登輝氏であるが、今回の訪日が最後であってほしくない。今回の訪日では奥の細道訪問のほか、講演会や記者会見も予定されているなど、前回訪日時よりも格段の進歩が見られるが、靖国神社参拝が実現するかどうか微妙である。というより、年末の立法委員選挙や、来年3月の総統選挙を考えれば、中国政府や台湾国内の媚中マスコミを刺激するような手段は控えるかもしれない。年齢的な問題もあるが、来年も再来年も李登輝先生をお迎えしたいものだ。

     

 


 

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