国家論B いつ独立したのか?いつから独立国ではなくなったのか?

台湾について考えるとき、避けて通れない問題がある。台湾は独立しているのか、していないのか、独立しているのならいつからなのか、という問題である。
中国人はいうまでもなく、独立していないと考えている。ところが、いわゆる「独立派」台湾人のなかには、すでに独立していると考えている人と、まだ独立していないと考えている人がいる。彼らの場合、理念と目標はほぼ同じである。目標が同じであるにもかかわらず、独立したのかしてないのか、いつ独立したのかなどで議論を戦わすのは無益で時間の無駄であるようにも思える。だが私は国家論という大きなテーマについて述べる以上、この問題について述べないわけにはいかないと思う。
結論を先に言うと、私は台湾はすでに独立していると考えている。すでに国家論の@で述べたとおりである。@で私は台湾は国家であると述べた。国家であるからには独立しているに決まっているのでもうこれ以上述べる必要はない。
一般的に長い間「台湾独立運動」と呼ばれる運動とは、中国政府ではなく、台湾の国民党独裁政権を相手としたもので、実際には台湾の民主化と国号の変更の二つを目標としたものであって、事実上ずっと以前から台湾は独立していたと考えられる。すでに民主化は実現したので、残りの課題は国号変更である。この事実にすでに多くの台湾人が気づいているようで、最近では「正名」運動という言葉が良く使われている。ただし、以前の台湾では蒋介石率いる国民党独裁政権が長期にわたって「台湾は中国の一部分」というイデオロギーをあまりにも強烈に推進してきたため、その反動によって台湾の「民主化」「正名」よりも「独立」が理念、目標となって運動がなされてきたのだ。
当サイトの理念、目標も台湾の正名、もっと具体的にいえば「台湾共和国」の建国にほかならない。サイトの名称が「日本人台湾独立促進会」と称しているのは、そのほうが多くの日本人の関心をひきつけやすいことがある。「台湾正名運動促進会」などの名前では、検索サイトや掲示板などで発見されてもあまり関心をひきつけられない可能性がある。要するにインパクトの強い名称を選んだということに過ぎない。
ではもう一つの問題。いつから独立したのかということだが、これは識者の間でも意見が分かれている。1945年の日本統治終了時、1949年の中華民国政府の台湾移転時、1988年に李登輝が総統に就任したとき、1996年に総統選挙が行われたとき、2000年に民進党政権が誕生したとき、などなど大まかに言って5つの説がある。このような議論は、実際には無益なことなのかもしれない。だがあえて述べることにしよう。
このうち1988年の李登輝総統就任時が台湾独立の時とする説はいくらなんでも論外ではなかろうか。これは外省人に対するあからさまな差別である。外省人にも台湾共和国建国を願っている人物がいるわけで、彼らも立派な台湾人である。1945年の日本統治終了時もおかしい。これでは台湾が中国の一部と認めているようなものである。1996年に総統選挙が行われたときというのも矛盾を抱えている。96年の総統選挙によって台湾の民主化は一応完成したと見てよい。だが民主化=独立とするならば、世界中の非民主国家は独立国家ではないことになってしまう。中国はもちろん、ベトナム、ラオス、ブルネイ、ネパール、サウジアラビア、などなど数え上げればきりがないが、とにかくたくさんある。21世紀を迎えた現在、民主化は成熟した近代国家の条件ではあっても、国家そのものの条件とはいえない。2000年に国民党が野党に転落したときという意見も矛盾がある。国民党だって、民主的な政治活動を行い、本当に台湾のために政治を行うのであれば、十分台湾で政権党となる資格があると思う(ただし現時点で政党名に『中国』を冠した政党など到底応援する気にはならない)。
すると残るは一つ1949年の国民党政府台湾移転、この年が台湾が独立した年となる。納得いかない方も多いであろう。私から見れば、1949年以後の台湾は、民主主義が存在せず、「中華民国」という虚構の名前を用いていたが、政治の中心が台湾本土にあり、諸外国とも外交関係を結んでいたから、すでにこの時台湾は独立していたと考えている。さきほども述べたように、その後に日本やアメリカで行われてきた独立運動とは、実際には民主化運動と、正名運動なのである。
いつから独立したのかという問題に一つの結論を出した。今度は、まだ独立していないと考えている方に反論をしたいと思う。まだ独立していないと考える根拠のひとつに、国連に加盟していないことが挙げられる。
だが少なくとも国連加盟が国家の条件でないことは小学校高学年ぐらいでもわかりそうな単純明快なことだ。国連加盟が国家の必須条件ならば、日本は1956年まで、中国は1971年まで、韓国は1989年まで、スイスは2000年まで独立していなかったことになる。戦前の国際連盟にアメリカとソ連は加盟していなかった。戦前の米ソは国家ではなかったのか。インドネシアは60年代に一時的に国連を脱退したことがあったが、この時インドネシアは国家ではなかったのか。このように、国連加盟は国家、または独立の条件ではないことが明らかである

例えば会社であれば、設立後に何らかの政府機関に会社として届けなければならない。会社として登録しないまま業務を続ければ、場合によっては違法となり逮捕される可能性もある。しかし国家の場合、国家を結成してから届け出る機関は世界中のどこにも存在しない。国連がその機能を果たしていないことは明らかだ。
独立否定派のより重要な根拠は、台湾が世界で26カ国としか外交関係を樹立しておらず、しかも小国ばかりということがある。しかしなぜこのことが台湾が国家ではないこと、独立していないことの理由になるのか、私には理解できない。誰もが認める現実として、台湾は世界26カ国と国交を結んでいるのだ。これは台湾が独立国家であることを示す厳然たる事実である。多いか少ないかということは問題ではない。逆に言えば中国は世界26カ国と外交関係を結んでいない。北朝鮮は百カ国程度だし、日本とアメリカは北朝鮮と国交を結んでいない。いったい何カ国以上と国交を結べば独立国家で、それ以下だと独立国家とは言えないという基準など今まで聞いたこともない。大国かどうかも全く関係ないはずだ。大国であろうと、小国であろうと、一カ国は一カ国である。

さらに重要なこととして、台湾を除く、世界中の全ての国家は世界中の全ての国家と外交関係を結んでいるわけではないという歴然たる事実がある。パラオ共和国は29カ国と、キリバス共和国は57カ国としか外交関係がない。もうこれで決定的だろう。外交関係が少ない=国家ではないという理論は根本的に成り立たない。

中国はどうしても台湾の独立を否認したければ、台湾と外交関係のある国をゼロにしなければならない。もし本当にゼロになれば、台湾は独立国家ではないという主張がかなりの説得力を帯びてくる。世界中のいかなる国も東京やニューヨークや上海と外交関係を樹立していない。
だがとりあえず26カ国と外交関係を結んでいるのが現実である。確かに少ないことは少ない。つまり、台湾は世界で最も外交関係の少ない国家といえるだろう。これはただ単に台湾の弱点に過ぎない。世界中にはジンバブエやモザンビークのような極貧国家、ナウルやバチカンのような極小国家、日本や韓国のように少数民族がほとんどいない単一民族国家、中国や北朝鮮のように言論の自由がほとんどない独裁国家などがある。台湾もそれと同じで、外交関係樹立国が少ないというだけの話なのだ。
また、この理論(26カ国としか国交がないので独立国家とは言えない)にはさらに決定的な矛盾がある。国連非加盟と外国関係樹立国が少ないことが独立国家ではないことの理由となるならば、いったいいつからいつまで独立していて、いつから独立しなくなったのかという疑問が生じる。台湾に首都を置く国家は1949年から1971年まで国連に加盟していて、しかも安保理の常任理事国を務めていた。当然ながら外交関係樹立国も多かった。しかし1971年に国連を脱退。その後、諸外国は続々と台湾と断行した。だが一夜のうちになくなったわけではなく、順番になくなっていったのだ。いったい何年の何月何日から台湾は独立国家ではなくなったというのだろうか、これに答えられる人はいないだろう。
これは逆に中華人民共和国にもあてはまる。現在、誰もが中華人民共和国を国家としてみなしている。だが1969年当時、中華人民共和国と国交があるのは50カ国未満。国連に加盟したのは1971年である。すると60年代当時はまだ中国は国家ではなかったことになる。70年代に入ると次から次へといろんな国は中国と国交を結んだが、いったいいつから中国は独立国家になったというのだろう。だいたいお分かりいただけたと思う。台湾は1949年以降実質的な独立国家であり、国連非加盟と国交樹立国の少なさは国家ではないことの理由にはならないというのが結論である。
それにしても、台湾承認国が小国ばかりであることを根拠に台湾が国家ではないというのは、これは26カ国に対して大変失礼極まりない考え方である。話が長くなって大変申し訳ない。もういい加減に疲れたという人もいるかもしれないが、もうちょっとお付き合い願いたい。
キリバスは世界で最も一日が早く始まる国である。新しいミレニアム(千年紀)も21世紀もこの国から始まった。
パラオはかつて日系人のナカムラ・クニオ氏が大統領を勤めた国として日本では有名である。しかもパラオは親日国でもあり、月章旗には日本の太陽(日章旗)によって輝くという意味が込められている。
セネガルは2002年のワールドカップ開幕戦で前大会優勝のフランスを破り、ベスト8まで進んだ。
リベリアはアフリカでダントツに早く1847年に独立した国。新米的な国で、国旗はアメリカ国旗をまねたもので、首都のモンロビアは当時のモンロー米大統領にちなんで付けられた。
中米七カ国は全て台湾承認国だ。
ハイチはアメリカ大陸唯一のフランス語圏の国家。
パナマはパナマ運河があることで有名。1999年にはその運河がアメリカから返還され、「第三の独立」として世界中から注目を浴びた。
セントビンセント及びグレナティーン諸島はイギリス(正式名称は「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」)と並び、世界で最も長い国名を持つ。
パラグアイの面積は40万km2で日本よりも広大で、世界で唯一国旗が両面となっている特異な国である。
バチカンは世界一の小国、さらに世界のカトリックの総本山でもある。
このように台湾承認国は極めて多様性と奥深さに富んでいる。これらの諸国を小国で片付けてしまうことは失礼千万ではないだろうか。この文章を読んでいる方々の中には、東京や大阪のような大都市に住んでいる方もいるだろうが、人口の少ない小都市に住んでいる方もいるだろう。仮にあなたが人口の少ない町や村に住んでいるとして、「おまえが住んでいる町は小さくてまるでカスみたいだ。存在価値がない」などと言われたらきっとあなたは憤るであろう。小国が小国であるからといって決して見下してはならないのだ。

 

     

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