第2回鄭南榕先生を偲ぶ会

 

 4月1日、第二回鄭南榕先生を偲ぶ会に参加するため、私は文京区民センターへ向ったのだが、地下鉄丸の内線で下車後、私はまず寄り道をした。なんといっても桜満開の季節なので、写真を撮っとかないともったいないと考え、まずは小石川後楽園へ。とりあえずここでは6枚の写真を掲載しておこう。

 

 

 

 

 

 

この写真だけは、後楽園駅前の公園

 

 そろそろ本題に入りたいと思うが、まずは鄭南榕氏がどのような人物であるかについて簡単に紹介したいと思う。鄭南榕氏は1947年宜蘭県生まれの外省人2世。台湾大学哲学科を卒業し、1972年に結婚。1984年に自由時代者を創設して週刊誌『自由時代』を発行。1987年2月、二二八和平日促進会を結成し、当時はタブー視されていた二二八事件の真相究明を始めて公の場で訴えた。同年4月にはこれまた当時の台湾ではタブー視されていた台湾独立を公の場で主張。12月には当時日本に亡命中だった許世楷台湾独立建国連盟総本部主席起草の「台湾共和国憲法草案」を『自由時代』に掲載。1989年、高等検察庁から反乱罪容疑で出頭を命ぜられるも、「言論の自由」を主張して自由時代社に立てこもり、4月7日、警官隊に包囲される中で焼身自決を遂げた。鄭南榕氏の焼身自決は台湾社会に大きな衝撃を与え、その後の台湾独立運動に多大なる影響を及ぼすことになる。
 鄭南榕基金会ホームページ

台湾建国烈士鄭南榕 葉菊蘭高雄市長

 

 鄭南榕氏は日本ではあまり知られていない。私は2年ほど前にインターネット上で「台湾の歴史」を読んだ際に鄭南榕氏のことを知ったが、今回のような式典が毎年行われるほどとは思っても見なかった。17年前に41歳で自決を遂げた鄭氏はもはや台湾史の伝説的な存在となっている。日本では今回でまだ2回目であるが、今後も彼の業績は台湾のみならず日本においても永遠に語り継がれていくことであろう。

 鄭南榕先生を偲ぶ会は4月1日午後2時半、小田村四郎日本李登輝友の会会長の開会宣言によって始まった。来賓挨拶として、日本人としてほとんど唯一1970年代から一貫して台湾独立運動に携わってきた宗像隆幸氏が短い演説をし、さらに鄭南榕基金会理事長の邱晃泉氏からのメッセージを日台交流教育会事務局長の草開省三氏が読み上げた。

会場の様子

 続いて祭文奏上。全員起立のうえ、日台交流教育会事務局次長の藤岡寛次氏が祭文を読み上げた。祭文はこちら(台湾の声にリンク)に全文掲載されている。


 
 献詠として、李敏勇氏が鄭南榕氏に捧げた詩を薛格芳氏が台湾語で読み上げた。参加者のもとには日本語の訳文が配られている。

 台湾語で詩を読み上げる薛格芳氏

続いて、参列者全員が一人ずつ献花を行った。

 

 遺族挨拶として、鄭南榕烈士夫人で高雄市市長の葉菊蘭氏からのメッセージを李登輝友の会常務理事の柚原正敬氏が読み上げた。最後に永山英樹台湾研究フォーラム会長の閉会の辞によって、鄭南榕氏を偲ぶ会の第1部は終了した。

 


 ここで改めて鄭南榕氏の功績を考えてみよう。1980年代といえば、50年代の白色テロの時代よりかは幾分緩くなってはいたものの、まだまだ硬直的な国民党独裁時代である。実際に80年代に入ってからも言論弾圧事件や暗殺事件が多数発生している。40年にも及ぶ国民党の恐怖統治を経験した台湾人はすっかり萎縮し、心の奥底では台湾独立を希求しながらもそれをすっかり口に出せない人がほとんどであった。そんな中で、外省人でありながら強烈な独立派であった鄭南榕氏は『自由時代』に積極的に国民党政権を批判する論説を掲載し、台湾で初めて公衆の面前で台湾独立を主張した。そして89年に警官隊に包囲される中で、「国民党が逮捕できるのは私の屍だけだ」という言葉を残して焼身自殺を遂げた。愛する祖国のために自らの命を捧げた鄭南榕氏の行動は、多くの台湾人の勇気を奮い立たせることになり、これをきっかけに国民党は台湾独立の言論を取り締まることができなくなってしまった。その後の台湾の民主化に鄭南榕氏が及ぼした影響は計り知れないものがある。
 現在、日本人、台湾人の多くが中国共産党独裁政権にすっかり萎縮し、言いなりになっている。鄭南榕烈士の勇気を見習ってもらいたいものだ。
 

黄文雄氏の講演


 今回の偲ぶ会には約100名が参加した。約300人が参加した2月26日の二二八革命59周年記念講演会と比べるとだいぶ少ないが、二二八事件が少なくとも親台湾派の日本人の間ではすでに認知されているのに対し、鄭南榕氏の業績については台湾独立を望む日本人の間でもまだ知名度が低いことが原因として挙げられよう。それでも台湾現代史の英雄である鄭南榕氏の名は今後、日本人の間でもしだいに認知されていくに違いない。今回の会で残念だったのはマイクの音量が小さいこと。私は講演会に参加するときは頻繁に立ち上がって写真を撮るので、周りの迷惑をかけないために後ろの方に座るのだが、第2部の黄文雄氏と宮崎正弘氏の講演内容はよく聞き取れなかった。

 

最後に桜の写真をもう1枚

 

 


    
 
 

 

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