台湾研究フォーラム参加リポート

『台湾新幹線は本当に新幹線か』

文京シビックホールに約40人が集まりました。ただ翌日に日台アジア未来フォーラムが控えていたことから、参加者はいつもの半分程度でした。

 第89回台湾研究フォーラム定例会が9月16日、お馴染みの文京シビックセンターで開催された

司会を務める永山英樹台湾研究フォーラム会長

。演題は『台湾新幹線は本当に新幹線か』。講師は自他共に認める鉄道マニアの片木裕一氏。台湾研究フォーラムは政治色の濃いテーマが多く、基本的にそれでいいと思うのだが、たまにはこのような政治から離れたテーマを扱うのもいいと思う。とはいっても新幹線のような国家プロジェクトであれば政治と全く無関係ともいかないであろうが。
 片木氏はまず新幹線とは何かという定義から始めた。新幹線は時速200キロ以上で走行、専用線で踏切が無く、複線で常に同一方向に走るものを言う。
 台湾では89年ごろから高速鉄道導入の構想があったという。当初は独仏連合が推し進める高速鉄道を受注することで1997年に決定していた。だが1998年6月、ドイツの高速鉄道ICEで死者100人を出す大事故が発生。さらに1999年に台湾中部で大地震が発生したことから、台湾と同じ地震国である日本の新幹線への逆転受注が決定した。1999年12月のことである。そして2001年2月に正式契約となったのである。

今回の講師、片木裕一氏

 とはいっても、すんなりと日本の技術、システムを全面的に受け入れると決まったわけではない。独仏によるレールや安全システムなどはそのまま引き継がれることになった。さらに独仏の顧問が継続して居残り、いちいちお伺いを立てなければならないという状況が続くこととなった。一説によると、99年当時、台湾はWTO加盟が主要外交課題となっていたが、そのためにはどうしてもドイツとフランスの支持が必要であり、これら両国の機嫌を損ねないためにも顧問を残しておく必要があったのだという。台湾の外交的に弱い立場が影響してしまったのだ。
 というわけで、台湾新幹線は欧州方式の土台の上に、日本の新幹線を搭載することとなったのである。台湾高鉄の関係者はこれを「ベストミックス」と称しているらしい。台湾新幹線はその後、様々な問題を抱え込んだ。まず運転士の不足。途中でJR東海が運転指導から撤退したこともあり、運転士の不足は深刻である。さらに欧州と日本の異なる理念に基づいた安全システムが混在しており、運転士は戸惑うことが予想される。片木氏によれば、車輌が転覆したり衝突する可能性はないが、途中で停止して動かなくなる可能性はあるという。
 片木裕一氏は9月上旬に李登輝学校に参加するために訪台し、李登輝前総統と数分ほど会談する機会があったという。その際に李登輝氏に台湾新幹線の開業に意見を求めたところ、李登輝氏は「あいつらは馬鹿だよ。」と台湾高速鉄道の関係者を厳しく批判した。「自分の言うとおりにしていたら数年前には開業できたのに」と悔やんでいたという。
 台湾新幹線はもともと2005年10月に開業の予定であったが、1年延長されて2006年10月31日に開業式を行い、11月1日に営業運転を開始する予定だという。陳水扁総統は開業式には、退任した小泉前総理を招待すると意気込んでいる。だが依然として新幹線は問題山積みだ。片木氏は10月31日の開業式は予定通りに行い、11月1日から運休すると予想している。
 その後の質疑応答では、各参加者から積極的な質問が寄せられ、片木氏は自作の模型を使いながら説明をしていた。

模型を使って説明する片木氏

 その後、近くの居酒屋で懇親会が行われた。今回のフォーラムの参加者約40名のうち、20名ほどが懇親会に参加し、一人ずつの自己紹介も行われた。参加者それぞれが日本と台湾の将来について意見を述べたりするなど、有意義な懇親会であったと思う。このような一人一人の地道な努力、そして一人一人のつながりが大切であるとつくづく思った次第である。最後は台湾万歳を三唱して解散となった。

 

 

 

懇親会の様子

 

最後に万歳三唱

 

以下は日台アジア未来フォーラム参加のため来日した台湾からの賓客を出迎えるために使用されたプラカード。

自分のことより他人のことをよく考えよう。自分のためよりも台湾のために尽くそう!!日台共栄!台日同盟!

 

李登輝精神を発揮しよう。「私は台湾人!!」

 

心から台湾を愛する。台湾を護るべく行動する。日台同盟の早期確立を!

 

台湾は素晴らしい素晴らしい素晴らしい!台湾は勇ましい勇ましい勇ましい!台湾は強い強い強い!日本は台湾独立を支持する。

 

 

 

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