蒋介石国民党の圧制ー台湾人政治犯

一人の台湾人の自由への戦い

謝聡敏

 

三.悪い外省人

五日五晩、全く眠っていない。目の前に、小鼻が大きく開いた中年の男が現れた。鼻の頭はまるで血の匂いを嗅ぎつけたかのようにうごめいていて、タバコのヤニで黒くなった歯が見えていた。私にはもう昼なのか夜なのか分からなかったが、目の前で動く人影が増えていた。
「外省人にはいい奴も悪い奴もいる。雷震や殷海光、李敖のような奴等は悪い外省人だ。」と、この大鼻の男は言った。
「雷震は蒋介石の側近だったが、『自由中国』誌を出して蒋介石に疎外され、反対党を組織して逮捕され判決を下された。」と彼は続けた。
「悪い外省人は反逆を企てて、台湾人を引きずり下ろしたいだけだ。雷震は先頭にたって蒋介石を批判したし、台湾人が野党を組織する指南をした。我々が先手を打って捕まえなかったら、野党ができていただろう。雷震はもともと総統の側近で、家には総統官邸へのホットラインがあった。その反対党の組織化を画策したのが殷海光で、暗殺も画策したんだ。あいつがこの文章を書いたとしても驚きはしないよ。殷海光にどうやってそそのかされた?言わないなら白状させてやるぞ。」
「どうやって?」私は困惑して聞いた。
「おまえの脳みその中にあるものは、全部吐き出させる。我々にできないことはないんだ。」
「拷問が違法なのはわかっているでしょう。私は劉慶瑞教授の指導で拷問の問題を『現代法律の人身自由の保障』に書き議論している。劉教授は彭教授の同級生ですよ。」

私の一生の人権活動の中で、最初に政治監獄の話をしてくれたのが、劉慶瑞教授であった。学生時代の彼は文学青年で、常にロマン派作家の詩や文章を新生報の文芸欄に発表して紹介していた。左翼の写実派学生が文芸欄に書く文章は、突然見られなくなった。この種の学生はみな、左寄りの思想のために逮捕されていたのだ。

背の高い男が後ろから私の腰を抱え込んだ。真黒く日焼けした青年が私の顔を殴りつけ、続いて胸、腹を殴った。私は本能的にしゃがみ込んだ。それから縄でベッドに縛り付けられ、背の高い男が棍棒で両足を殴り続けた。私は痛みに耐えかねて呻いた。
「どうだ!いい音だろう!」日焼けした青年は、人の処刑を楽しく見物していた。
拷問の場面は残酷で悲惨なはすだ。しかしこの処刑人たちは正月のように騒ぎ、笑い、叫んでいた。

ドアがまた開いた。温厚な微笑みを浮かべた男が戸口から現れた。寛大な眼差しが黒い瞳に表れている。彼は驚いて言った。「何と言うことだ!拷問はするなと言っただろう!こんなになるまで殴って。すぐ起こしてやれ。」縛って殴った男がすぐに縄を解き、私を起こした。
「言うことを聞いて、正直に言いなさい。言わないつもりだろうが、それはよくない。こいつ等はどんなことでもするんだ。」と、彼は優しげに言った。
私はまた椅子の上に放り出された。腫れ上がった両足が、骨を刺すように痛んだ。
「我々はただ、細かいところまで、逐一思い出せるようにするだけだ。それを上官に説明しなければならないんだ。」と、背の高いほうが言った。
「殷海光のことを言えばいいだけだ。こういう悪い外省人に、台湾人がそそのかされて反体制になる。しかし彼等は政府に頼って生活しているのだ。どうしてこんな人間の身代わりをする…。」
「殷教授が話されることはすべて、西洋文化が中国の伝統文化に与える衝撃についてです。国民党が大陸から台湾に撤退してきて、台湾に中国文化と西洋文化の葛藤が起こりました。国民党は歴史的な精神文化を持ち出し、『道統』と呼んで、台湾の民主化を阻んでいます。こちらが国会の改選を要求すれば、『法統』でもってそれを拒否します。しかし政治学の文献の中にも『法統』の由来は見つからないから、殷教授に『法統』のことを聞いたのです。この文書の内容について議論したのではありません。」
「よく言った。彼はどう説明した?」
「国民党は歴史的精神文化について、文化的には『道統』と称し、政治制度では『法統』と称していると説明されました。国民党は台湾の将来を提示するすべがないので、時代の潮流に逆らって『法統』を持ち出しているのです。しかし時代の趨勢は止められないから、国民党はそれに引きずられて進む以外ありません。先生は元々国民党員でもあり、新しい観念と思想を吸収し、実証済みの理論を信じて冒険家のように新世界を開拓されたいだけなのです。その知識のない者達は、教授が横道に反れただの、忠誠心がないだのというのです。ロシア製の『思想偏差』というレッテルを貼って『思想に問題あり』と言ったりして…。」
「おいおい、我々に説教するつもりか?殷海光は伝統を否定し、指導者を打倒し、人心を動揺させた。おまえが正にその典型だ。政府を認めず、道に迷って、彭明敏の『一つの中国、一つの台湾』に目がくらみ、盲信している。思想に問題があるのだ。そこから救い出してやる。殷海光との関係を明確に説明しろ。」
「全面的に西洋化するという考え方は、早くから胡適が提唱しています。国民党が中国で敗退して台湾に撤退して来て以来、知識分子は方向を失って、中国の古い価値体系が崩壊したのです。殷海光先生は台湾のために新しい価値体系を作りました。外省人と台湾人を融合させ、野党を組織したのは貢献といっていいはずです。」
「台湾人と外省人が一つの国家を建設するというおまえの主張の陰には、殷海光が見える。だから、殷海光の仕業に違いないというのだ。」
国民党政府の神経は麻痺していて、国内の新情勢には無反応であり、世界の新しい環境にも適応不全であった。新時代を迎える勇気が欠如していたのだ。
「これが時代の趨勢でしょう。」と、私は探りを入れてみた。
「我々は大陸反攻をするのだ。」と、彼は言いはった。
国民党は変革を恐れており、「道統」に従いそれを実行する皇帝が良い皇帝だった。指導者である蒋介石はすなわち「哲学皇帝」で、特務は忠誠を尽くした。「道統」を維持するために、時には殺人も必要だった。古来から、多くの悪事が「道統」の名を借りて行われてきた。白色テロは指導者蒋介石の名によって執行されたのだ。

また交代の時間がきた。皮膚がかさかさに乾いた、水色のシャツの中年の男がまた現れた。
「政治事件と一般事件は違うぞ。」と彼は言った。「雷震には我々が先手を打たなかったら、野党ができていたはずだ。その時になって野党のリーダーを逮捕したら世界の一大事だ。政治事件は予防的措置だから、大きくもあり小さくもあるのだ。雷震は常々我々を罵倒していた。殷海光は多くを知りすぎていて、学生に伝えてもいた。包啓黄のことを言っていただろう。」
「包啓黄?あの射殺された軍法局長?どうして知っているんですか。」
「おまえが言わなくても、他の者が全部話した!」

当時、学校では軍需主任の大佐が汚職事件で逮捕されたという噂が流れていた。その妻は軍事局長包啓黄に賄賂を渡したが、包局長は大佐の妻を強姦し、大佐を射殺した。大佐の妻は、中山北路で蒋介石の公用車の列を止めて「街頭直訴」をした。その結果、蒋介石は包啓黄を死刑にした。死刑は包局長が建設した刑場で執行された。自分が造った刑場で処刑される、最初の死刑囚になったのである。包局長の事件は軍事裁判の腐敗と暗黒面の象徴だった。政治事件の裁判が、これらの殺人鬼が指揮する軍事法廷に付されているということに、非常に失望した。
「殷教授から包啓黄局長の話は聞いたことがありません。しかし、監察院長の于右任はロシア革命の崇拝者だと言っていました。于右任は彼の詩の中で東アジアの解放を使命と感じていると言っています。国民党が革命を始めた当初は、思想も色々分かれていましたよ。」
「総統は于老人には相当な敬意を払われている。政治とは忠誠を求める以外に原則はない。一つの政党、一人のリーダー、一つの主義、我々に多元論はない。殷海光は学生に誤った情報を吹き込んでいる。忠誠であることに疑いを持って動揺させ、指導者を打倒し、我々を分裂させている。奴を逃さないぞ。言ってみろ。『一つの中国、一つの台湾』はどこから来たものだ。」
「カリフォルニア大学のスカラピノ教授が、新聞で『中華台湾国』の構想を述べていると言ったでしょう…。」
私は意識が朦朧としていた。真っ黒く日焼けした青年が突然、背後から稲妻のように跳び出し、激怒のあまり手を震わしながら私の襟首を掴み、胸に片膝を突きつけて怒鳴った。
「また新聞で見た、か。みんな新聞のせいにするのか…。」
私はふいに、彭教授が貸してくれた、史明の日本語の『台湾四百年史』を思い出した。拷問は確かに効果があるのだ。しかし話すわけにはいかない。史明は日本にいる。国外の関係もまた大変である。彭教授はまたイギリスで出版された『中国季刊』を、台湾で編集することを提案していた。私は魏廷朝に頼み、中央研究院からこの本を借りることができた。しかし、これは更に問題を起こしかねないので言いたくなかった。私は東西冷戦から、欧州の宗教改革を連想した。

水色のシャツを着た中年の男は、日焼けした青年に、手と膝をおろすよう指示した。私は慎重に言った。
「東西の冷戦から、十六世紀の欧州の宗教改革を思い出しました。スペイン王室はオランダの新教徒を鎮圧しました。オランダは宗教改革の要衝でした。欧州各地でカトリック教会の迫害を受けた新教徒が次々とオランダへ逃げ、オランダはスペイン王室の暴政に反抗して独立国家を建設した。宗教的、政治的な寛容さが欧州各地の難民を引きつけたんです。難民もオランダに文化や技術を持ち込み、それが各種の産業を生みました。オランダの各宗派は、自由という共通の信念を持っている。東西冷戦の中で国民党政府は『自由中国』と自称しながら、自由を埋葬しているではないですか…。」
「なぜオランダを思いついた?」水色のシャツの男が言った。
「オランダは台湾の最初の殖民政府だ。私はオランダが様々な思想を取り込んで産業を発展させ、自由を愛したと同じ様に、台湾もアジアに立脚してほしいのだ。自由も、台湾が中国に貢献した思想だ。台湾は開放に向かって進むべきです。」
「なんだと!我々に宣教する気か。共産党のすごさを知らないだろう。共産党が自由を隠れ蓑にして台湾を覆えそうとしているんだ。」
私は彼の乾いた顔に、陰鬱で恐ろしい表情が現れたのに気づいた。私はこの探るような眼差しから、視線を白いシャツの小太りの男に移した。私はしばらく沈黙してから言った。
「アジアにも難民を受入れる国土はあります。第二次世界大戦前、日本軍の迫害を受けた多くの台湾の農民運動家や自治運動家たちが、次々に香港や上海租界に逃げました。多くの中国の共産主義者や自由主義者たちも、上海と香港に避難しています。欧州の宗教改革で生まれた新教徒は、自由をオランダの愛娘と讃えていました。我々にだって、台湾で自由の国土が作れるはずです。」
「中国から逃げてきた者は、台湾に来ているではないか。」小太りの男が言った。
「そうだ。台湾に来た人と、台湾の優秀なエリートが東本願寺に来て、それから緑島に送られます。台湾大学の人間は、「来い来い台大、行け行けアメリカ。」と言うでしょう。良い人材はみんな逃げています。アジアには台湾が必要で、台湾は自由が必要なんです。」
「中国の歴史は『合久必分、分久必合』が鉄則だ。殷海光は完全な西洋化を主張して、中国史の鉄則を忘れたのだ。例外があるかね?」小太りはまた聞いた。
「子供の頃から『水滸伝』を読むのが好きでした。台湾人の黄得時が日本語に訳したものだ。第二次世界大戦後は中国語で出版されました。水滸伝は小説にすぎないが、明朝の陳忱の書いた『水滸伝後伝』はもっと好きです。勇敢な梁山泊は中原の戦乱で居場所がなくなり、船を奪って航海しました。無数の困難を経て全鰲島で義賊になって、後に朝廷にシャム国王の位を授けられました。中国の『合久必分、分久必合』とは小説家の論だが、小説家にも海洋国家の構想があったのです。つまり現実の政治で言えば、フィンランドはソ連の隣だが、小国がどうやって生存しているのか、私達が研究する価値がありますよ。私たちも同じ船上にいるのだから。」
小太りの男の目が光った。乾いた顔の中年の男は険しい眼で私を見た。
「誰がおまえと同じ船上にいるのだ。台湾は変わりはしない。我々は大陸反攻をするのだ。おまえの背後にいる悪い外省人が誰か言わせてやる。協力しないなら、歯を叩き折られて、血を呑む覚悟をするんだな。」
二人は一緒に立ち上がり、少し若いほうも彼らと一緒に取り調べ室から出て行った。警備の私服士官が交替に入ってきて、拷問の現場を掃除し、私を起こして休ませた。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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